フラッシュバック - RADICAL TALK

先日まで数日かけて三重県の海岸沿いを踏査した。桑名から鳥羽までの伊勢湾沿岸、鳥羽から鵜殿までの熊野灘沿岸。

一人で車を運転して土地勘も無い中で海岸沿いの防災施設の状況を見てまわり...どこも本当に素晴らしい景色で(チラ見程度しかできなかったが)、日本の誇る景勝地であることを実感した。

ただ、車を走らせながらもやはり気にかかるのはあれのこと。
三重県沿岸の海岸には、必ずあるのは避難場所を示す矢印看板。あああそこに行くのね、とわかりやすい。静かな、のんびりとした空気の中に緊張感がミックスされている。

僕は3月から約半年、気仙沼を中心に三陸沿岸に通い続けていた。そのとき見た光景と全くといっていいほど同じなのだ。尾鷲は南三陸や気仙沼であり、七里御浜や伊勢湾沿岸は荒浜や野蒜である。

三重県等太平洋沿岸では、東海・東南海・南海地震に備えて三陸沿岸と同レベルの防災対策が施されている。東日本大震災の教訓もあり、それなりの避難はなされるはずだ。しかし、沿岸の集落・都市は壊滅し、その光景は激変するはず。

眼の前に広がっているのは、明日には全く異なったものになるかもしれない景色、いつ変貌するかわからないが「今、この眼の前」に広がっている風景である。その中にその前に立ってゾクッとした。破滅を秘めた美しさというべきか。


最後に防災に関わる内容を一つ。特に熊野灘南西部は内陸部の都市からのアクセスが無い。道があってもとにかく狭く、大型車両の通行も制限される。これは東北で機能した一ノ関・盛岡・遠野などからの「櫛の歯作戦」を適用することが出来ない、ということだ。
その後しばらくは避難生活、復旧活動は相当困難になるはずである。十分な支援が無くとも何ヶ月かは自力でなんとかしなければならない、という覚悟と準備が各市町には必要だと思う。

半年が過ぎて - RADICAL TALK

震災から半年が過ぎ、あれほど沿岸域を埋め尽くしていた瓦礫も片付いてきた(といっても何箇所かに積み上げた、というだけだが)。瓦礫を片付ける音、生臭い匂い...それが無くなり、その場所から生活の痕跡が消えていくように感じる。

雑草の緑に覆われてきた場所もある。自然の方が復旧が早い。このまま自然に帰してはどう?という考えも一瞬よぎった。

写真は上から陸前高田、南三陸(歌津)、気仙沼。


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