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そのテキストは呪文である

朝吹真理子「きことわ」(新潮9月号)、読み始めてから読み終わるまでの記憶が無い。すっかり作品中の世界に浸っていた。「活字に絡め取られる」という言葉が当てはまる。

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僕も毎日文章を書いている。しかしそれは「レポート」である。自分の調べたこと、考察を「明快に」書き、他人に伝えるためのものであり、文学作品とは目的が全く異なる。
そこでは主旋律以外の無駄な言葉は削られる。

とはいえ、文体は結構不安定だ。想定する読み手(発注者など)やレポートの目的、誰が最終チェックするか(すっかり組織人ですね) などにより文体は変わる。それ以外に、印象の強い文学作品に触れた後は大きく変わる。詩を読んだ後は妙なリズムが生まれるし、森博嗣を読んだ後は読点が倍増、小島信夫の後は破綻...それはそれで面白い。

しかし、「きことわ」は多分文体に影響は与えない。この小説は「文章を読んでいる」ことを感じさせない。僕らが普段書いている、読んでいる文章とは別の次元のモ ノである。この場合、テキストは読んで理解するものではない。作者が作り出した世界に接続するための呪文である。試しに読んでみるといい。読 み始めて数秒後、「夢を見ている」はずだ。
公共事業も縮小傾向にあり建設業界における生き残り競争が激化する中ではあるとはいえ、「建設技術者」は今後の社会においても必要な役どころであると考えている。
しかし、その役割は貨幣の獲得という企業としての目標と並立することは難しいのではないか。経済不況・人口減少が継続する中における「成長しない社会」では「商の論理」の存在感は薄くなる。残念ながら現在の建設会社・建設コンサルタント会社の多くはその企業形態の維持に精一杯であり、「商の論理」の呪縛から抜け出ることはできない。僕は国内トップの建設コンサルタント会社で働いている。しかそおそらく数年後には、「少なくとも今の形での」組織は存続していないだろうということは直感的に感じている。
こうした中で僕は、何をモチベーションとして、どのように必要最低限の「運転資金」を確保して、技術者人生を継続していこうかという点で模索しているところである。

「ビジネス本」という分野がある。数年前から突如書店内で勢力を拡大したその分野に属する本は、「机の上を片付ければ年収1500万」みたいなものから、働くことの意味、時代に対応した「構え方」など、人が社会と接続するための本質的な問いに言及したものまで、様々なテーマを持っている。

僕は普段は小説(新旧問わず)やエッセイ、論考などを好んで読む。ビジネス本は逆に敬遠しているくらい(文章がしょぼい)。ただ、前述のような悩みを解消するため、「ビジネス本」の中から「ビジネス」の本質に言及していそうな本を読むことがある。

「"フリー"〈無料〉からお金を生みだす新戦略」という書籍が売れているとのこと。Web上の書評でも絶賛のコメントが多い。こういうのは胡散臭い、とも思ったが購入。「Free」という単語のイメージから、「最小限の収入で事業を継続する」ことを述べている書籍と勝手に思っていた。「フリー」とは、「商の論理」の呪縛からのフリーかと思っていた。(ちゃんと調べて買えばいいのに)

だいたい、Web上で同書を絶賛している人物は、ビジネスの現場で激闘を繰り広げている最前線のビジネスマンでなく、「京王線を前から見た時のフォルムって恰好いいよね」(適当なイメージでスイマセン)と言っているのと同じ、「ビジネスファン」である。ビジネスを「ファン」の立場から語ることを生業としている人々である。
別にそれを批判するのではない。「~ファン」という楽しみ方は魅力的な趣味である。ただし、彼らが言っていることは実際(現場)と乖離している可能性が大いにある、という点は認識しておきたい。

そしてようやく書籍「フリー」について...
結局途中で読むのを止めた。「商の論理」真っ只中の内容だからである(当たり前。事前に確認しない僕がダメ)。以下は少し読んだ中で思ったこと。全くの誤読の産物かもしれないが...

まず、ビジネスを持続可能なものとする為には信頼・リピートが必要だと思う。「フリー」の思想の下展開されている商売は、少なからず消費者を騙している。「フリー」の思想を進める企業に対してユーザーは信頼を寄せることができるであろうか。
信頼・リピートを得るためには何が必要か。「供給者は手を掛けた品質の高い品物・サービスを提供し、消費者は適正な費用負担でこれに応答する」という「誠実さの交換」によるコミュニケーションの構築ではないか。「フリー」のビジネスモデルのように消費者と費用負担者が別々では、その関係性は成立しない。「やったぜタダで使えるぜ」から信頼を醸成することは困難である。
でもGoogleはその例から外れつつあるかな。Googleは安定したサービスを「継続する」ことと、自社の思想をオープンにすることで信頼を確保している。でもこれが未来永劫続くことは保障されていない訳だから、本当はユーザ側は全幅の信頼をおいてはいけないはずだ。

それでは、国内において高い質を持ち、適正な価格で交換が行われる持続可能なビジネスモデルが構築可能な産業はあるか。持続可能なビジネスモデル、言い換えれば「金で買えないもの」を提供できるビジネスである。「お金と交換してくれるのなら」と思ってもらえるようなものを提供できればいい。
人口に膾炙した答えだが、「観光」をはじめとしたサービス業と、「農業」。観光産業なら「ホスピタリティ」、農業は「安心」「手間」が「日本ではお金で買える」。製造業や建設業は「適正な価格」というものが消失しつつあるので難しいかなぁ。

ここまで書いて思った。この「フリー」という本は、こうした素晴らしいビジネスモデルがありますよ、という本ではない。「「フリー」を前面に出してくる企業は、このように金儲けを企んでいるのですよ~」ということを伝えたいのかもしれない。

現実は地図を模倣する

地図もウソをつく (文春新書 651)」(竹内正浩)

本屋でこのタイトルを見て、名著「地図は嘘つきである」(マーク・モンモニア)を連想した。コンセプトも似ている。表紙裏の紹介文もなんとなく...出版社はもう少し考えて欲しいですね。好著だけに、勿体無い。

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内容についてであるが、地図に込められた思惑、加工の経緯がしっかりと調査・整理されていて興味深く読むことの出来る良質なレポートである。国内製作の地図を中心に調査していることもあり、モンモニアの本よりも受け入れられやすいのではないだろうか。掲載されている地図をカラーで見てみたいなあ。

「滑稽欧亜外交地図」は傑作。

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 地図は現実をそのまま写し取ったものではないこと、それについて突っ込んでみたい場合は「地図の想像力 (講談社選書メチエ)」(若林幹夫)がある。
 現実は地図を模倣する...我々が認識している「現実」は人間の意図が投影されたもの、そのツールの一つが地図である。そう考えると、前述のように地図は「ウソをついている」わけではないんだよね。あくまでもそのような意図が現実に対して働いた、という捉え方になるのだ。
 地図とは何か、我々が社会をどのような形で認識しようとしているか考えることの出来る一冊。

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以下、「地図の想像力」p5より。

ある帝国で、皇帝に命じられた地図師がきわめて精確な帝国の地図を作り上げた。その地図は精確であるだけでなく、大きさも帝国とそっくり同じだったので、帝国の領土をそっくり覆い隠してしまった。やがて時がたつにつれ、地図は次第に朽ちてぼろぼろになっていく。そして同じように、帝国の国力もまた次第に衰えていった。かくして今では数個の地図の断片だけが、砂漠と化したかつての帝国の領土の上に、僅かに痕跡を残している......。
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